画像は千葉県木更津市の大田山公園の「きみさらずツインタワー」
復習 高齢者学習講座 日本の古代史
⑥ヤマトタケル伝説(前)
1.古代天皇系図(神武~推古まで)
①先王朝
初代の神武天皇~9代の開化天皇まで→欠史8代で「仮想時代の天皇」ともいわれている
※弥生時代~古墳時代の邪馬台国で「葛城王朝」ともいわれている
②古王朝
10代崇神天皇(「実際は最初の天皇か」といわれている)~14代仲哀天皇(正妻は神功皇后)て「三輪王朝」ともいわれている
③中王朝
15代応神天皇(神功皇后の子)~25代武烈天皇
※ユーラシア騎馬民族が九州へ→九州王朝→(東征)→「河内王朝」ともいわれている
④新王朝
26代継体天皇(応神天皇の5代目の子孫)
※ 「近江王朝」ともいわれている
(まとめ)
以上のことから日本の天皇は万世一系といわれているが現在では疑問視されている
また、騎馬民族王朝征服説や三王朝交替説がある
2.作られた天皇と実在した天皇についての説
①読み方が同じ 「ハツクニシラススメラノミコト」
葛城王朝が存在しないとすれば神武天皇は存在しない
初代神武天皇「始?天下之天皇」作られた天皇
10代崇神天皇「御肇国天皇」 実在した天皇
②古代天皇 → 宝算(亡くなった時の年令)平均 平均在位年数
初代神武天皇~16代仁徳天皇 106年(106歳) 60年
17代履中天皇~33代推古天皇 62年(62歳) 13年
③なぜ上記②の年数でつじつまがあわないことをしたのか(仮説)
■中国は4000年の歴史で、日本も歴史を古く見せようとしたのではないか
■8世紀の日本書記編纂の際、「辛酉(しんこう かのとり)革命説」という考え方がおこった、
辛酉とは千支の組み合わせで60年のうちの58番の年で天命が改まる年に王朝が交替するという革命の年である
特に、一元(60年)の21~22倍にあたる「一蔀(いちほう)」の年は大革命があるとされていたことから「661年の
天智天皇の即位」から1320年遡って紀元前660年「神武天皇が即位」したことはこの理論を正当化したもので、
結果的にはつじつまがあわないものと考えられる
3.古事記での「景行天皇」関係表記での語句等の理解のために
①おおいらつめ(大郎女) 大は偉いという意味で長女をさす 郎女は若い女のこと
②兄は「母親が同じ場合使う」が言い方や使い方が違う、いろせ「兄」のこと、 いろど「弟」、え「姉」、
いろも「妹」のこと、母親が違う時は「継(まま)」を使う
③女性の地位
皇后→ 天皇の正妻 大后(おおきさき)とも呼ぶ
妃(みめ)→皇族出身の妻
夫人(おはとじ)→中央豪族出身の妻
妾(しょう)→ 地方豪族出身の妻
采女(うねめ)→天皇の身の回りを世話する女
④大和朝廷への抵抗勢力
蝦夷→大和朝廷に服さず
出雲→半独立状態
熊襲→よく大和朝廷に反抗
隼人→海幸彦の子孫
土蜘蛛族
⑤東方12国
伊勢 尾張 三河 遠江 駿河 甲斐
伊豆 相模 武蔵 総 常陸 陸奥
4.古事記のヤマトタケルノミコト(倭建命)
①古事記は和文でよみやすく「倭建命」で表記
※日本書紀では漢文でむつかしく「日本武尊」で表記
②弟12代景行天皇の子の「小碓命」の話→1650年前の話
⑴景行天皇には21人の表記された子と記録にない59人の計80人の子がいた。
そのうち3人が次期天皇候補がいた。その3人とは「小碓命(倭建命)」「後の13代成務天皇」と「五百木之入日子命」
⑵大碓命
景行天皇の長男であるが天皇から二人の乙女を天皇に召しだすように命じられたが自分のものにし他の女を差し出
したとかかれている
⑶倭建命の熊襲征伐
■倭建命は兄の大碓命を夜明けに厠から出てくるのを待ち受け捕えつかみ踏みつぶし手足をもぎとり蔦につつんで投げ
すてて殺した
■天皇は勇猛で荒々しい心を恐ろしく思われ「小碓命」に熊襲征伐を命じる
■小碓命は熊襲の新室落成の祝宴に女装し熊襲の女たちに紛れ込み熊襲建の兄を懐から出した剣で胸を刺し、弟は逃げだ
したが追いかけて尻に突き刺した。刺された弟は殺される前に「あなたこそは倭建命」と褒め讃えた。
これが「倭建命」の名づけのいわれである。
̪ ⑷倭建命の出雲建征伐
■出雲建命と親交して、こっそり偽の太刀を作り、肥河に出かけ水浴をした際に偽の太刀と交換した後に試合をしようと
もちかけて偽の太刀の木刀を使った出雲建命をだまし出討ちにして殺してしまった
⑸倭建命の東国遠征
■景行天皇は東方の12ケ国を平定せよと倭建命に勅命する
■倭建命は伊勢の叔母のところへ行き「天皇は私が死ねばいいと思っているようだ」と嘆き悲しんだ。
叔母は「草薙剣」と「御嚢」を授けた
※「草薙剣」は名古屋の熱田神宮にあるといわれているが、平家滅亡の際に安徳天皇が入水自殺時に一緒に剣をもって
沈んだことから疑問視されている。他の三種の神器の二つの「勾玉」と「鏡」は伊勢神宮にある
■相模国に着いた時、この国の国造が野原の沼に荒々しい神がいると嘘をつき倭建命をおびき出し、火をつけ焼き殺そう
とした。倭建命は叔母からもらった「草薙剣」で草を刈り払い、「御嚢」の中の火打石で敵のほうに火勢をしりぞいて
脱出した。その後、国造らを切り殺し、死体に火をかけ焼いた→「焼津」の地名だとの言われが記載されている
■相模から東へ
走水海(三浦半島と房総半島の間)を渡る時、海が大荒れしたため后の「弟橘姫」が入水して海の怒りを治めた
■足柄山の遭難
昼食をとっているとき、峠の神が白い鹿となって現れた。食べ残し投げつけ鹿の目にあたって撃ち殺してしまう
坂の神を滅ぼした倭建命はこの峠に立って三度「吾嬬はや」と詠嘆した
⑹美夜受媛との合歓
■結婚
東征に先立ち、熱田神宮の美夜受媛と結婚の約束を交わしていたが、帰路、月の障りのある媛と契を結び
ここで重大な禁忌をおかしてしまう、そのうえ、媛の許に草薙剣を忘れ荒ぶる神の住む伊吹山に向かった
■伊吹山で遭難
大和を目前にして、これまで叔母の大和媛命の霊性に守護されてきたが、山の神と素手で対決し徹底的な敗北
をして再起不能の昏睡状態に陥る
■玉倉部の清泉(岐阜県関ケ原町)で一時回復に向かう
⑦ヤマトタケル伝説(後)
1.ヤマトタケルについての記載
主な相違内容 | 古事記 | 日本書紀 |
名前 | 倭建命 | 日本武尊 |
景行天皇の子 | 次男 | 三男 |
熊襲征伐 | 天皇がヤマトタケルを遠ざけるため | 熊襲が朝貢しないので命ずる |
ヤマトタケルが女装して討ち取る | 景行天皇の兵の一人が熊襲を討つ | |
ヤマトタケルの名付け親はクマソタケル | 名付け親は熊襲の首長の川上タケル | |
東征時 |
嘆き悲しむ | 勇猛な姿 |
伊勢での話 | 大和媛命に「父が冷たい」と嘆く |
大和媛命に「天皇の命令を承って背く者どもを誅してまいります」と宣言 |
尾張 | ミヤズ媛と婚約する | 対応するエピソードなし |
焼津の言われ | 相模の国となっている | 駿河の国になっている |
浦賀水道 | オトタチバナ媛を失う | 同左 |
東国遠征経路 |
上総から海路で北上し陸奥(宮城県)まで遠征して平定 「私は現人神」と名乗って蝦夷の首領を降伏させる |
|
足柄山 |
坂の神を打ち倒す 足柄峠で罪妻を思い出し「吾妻よ」と嘆いた |
平定後甲斐酒折(山梨県甲府市)から武蔵・上野を巡る 鳥居峠(群馬・長野県境)にて「吾妻よ」と嘆いた |
甲斐酒折 |
蓮歌の発祥といわれ、下の句を火を焚く老人が 詠み、彼を国の造に任ずる |
食事中に歌で使者に問いかけをして、あかりを灯すものがそれにこたえる
|
信濃(科野) |
坂の神を平らげる |
白鹿に化けた山の神を殺したところ道に迷う、白い犬に導かれ美濃へ出る |
尾張 |
山の神に素手で立ち向かう |
山の神に素手で立ち向かい病気になる |
死去場所 | 鈴鹿 | 伊勢(30歳) |
国偲びの歌 |
能褒野(三重県亀山市)で詠んだ 「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し美し」 |
父親の景行天皇が九州平定の途中に日向で詠んだ |
2.ヤマトタケルは伝説上での人物で21代雄略天皇がモデルになっているのでは
共通点は
①タケルの名 雄略天皇はワカタケル
②荒々しい共謀な性格→ともに兄を殺している
③幼いころ、ともに「ヨグナ」と称した
④皇后や妃の名 雄略天皇の皇后「橘妃」 倭建命は「弟橘媛」
⑤国内の軍事行動 雄略天皇→葛城・吉備・播磨・伊勢など 倭建命→東西遠征
⑥ともに神人性が見られる
雄略天皇 葛城山の山の神と対立し三輪山の神となる
倭建命 走水の海での波の神 足柄山の坂の神 伊吹山の神征伐で死に至る
⑧聖徳太子(前)
1.古代聖徳太子に関する主な書物
時代・年 書籍名 |
720 日本書紀(藤原不比等) |
8世紀初 上宮聖徳法皇帝説 |
771 上宮太子伝 |
788 上宮皇太子菩薩伝 |
平安初め 上宮聖徳太子補闕記【じょうぐうしょうとくたいしほけつき】 |
918 聖徳太子伝歴(藤原兼輔) |
1238 聖徳太子伝私記 |
2.聖徳太子について
父は大兄皇子(後の31代用明天皇)と母の穴穂部間人皇女の第二皇子で「厩戸王子」である
お札の肖像になったり漫画の「日出拠の天子」の主人公にもなったりした。聖徳太子は後世に名付けられた
超人的能力の聖天子で偉業は捏造との説や本当にいたかとの説もある
また、出生について景教(キリスト教のネストリウス派)が伝わり、イエスキリスト誕生の逸話を借用された説あり
3.第33代「推古天皇」の治世
推古天皇は額田部皇女で豊御食炊屋姫天皇(とよみけかしきやひめのすめらみこと)とよばれた
御顔はきらぎらしく振る舞いはおさおさしいと記載されている
30代敏達天皇と結婚、敏達死去後、33代天皇となる(31代は用明天皇、32代は崇峻天皇)
554 | 推古うまれる | 601 | 世界最古の木造建築の斑鳩宮(法隆寺)を建立 |
571 | 18才で敏達に嫁ぐ | 603 |
冠位12階(職位に合わせた冠の色) |
572 | 敏達天皇即位 | 604 | 17条の憲法(官僚・貴族が守る道徳的な規範) |
574 | 厩戸王子(聖徳太子)生まれる | 606 | 推古天皇へ勝まん経・法華経を講義 |
576 | 推古立后 | 607 | 小野妹子を隋に派遣(遣隋使) |
585 |
敏達天皇32才で死去 31代用明天皇擁立
|
620 | 「天皇記」「国記」 |
586 |
穴穂部皇子が推古を犯し殺そうとする 用明天皇死去後、蘇我馬子が穴穂部皇子を討つ |
622 | 聖徳太子死去 |
586 |
蘇我馬子が物部氏を滅ぼす 32代崇峻天皇即位 |
626 | 蘇我馬子死去 |
592 |
蘇我馬子が東漢駒に崇峻天皇を暗殺させる 33代推古天皇即位 |
628 | 推古天皇死去75才 |
593 | 聖徳太子20才で叔母の推古天皇の摂政となる | ||
600 | 任那へ新羅征討救援の兵を出す |
⑨聖徳太子(後)
1.聖徳太子前後の外交・内政の時代年表
369 | 倭国軍百済と結び新羅を破る、加羅(任那)領有 | 585 | 任那問題で敏達天皇が用明天皇に遺言する |
391 | 倭国軍朝鮮出兵、百済・新羅を破る | 593 | 推古天皇即位 |
400 |
倭国軍が高句麗に敗北 仁徳王朝成立 |
593 | 聖徳太子摂政 |
421 |
倭王「讃」が南朝に遣使 ★安東将軍倭国将軍の称号 |
601 | 聖徳太子二度にわたり新羅遠征計画するが果たせず |
476 | 倭王武帝に上奏文 | 602 | 12階の冠位定める |
507 | 継体天皇即位(継体王朝はじまる) | 603 |
17条の憲法定める |
512 | 大伴金村、任那(加羅)四県を百済に与える | 607 | 遣隋使派遣(中国に平等の外交を示す) |
540 | 大伴金村が任那問題で失脚 | 645 |
大化の改新(乙巳の変) |
562 | 加羅宮家(任那日本府)が新羅に滅ぼされる | 660 | 唐と新羅の連合軍が百済を滅ぼす |
571 | 欽明天皇が任那問題で敏達天皇に遺言する | 663 | 白村江の戦いで日本が唐と新羅の連合軍に敗北 |
2.冠位12階について
これが定められる以前は豪族たちが合議体で大王(おおきみ)をきめていた。つまり、大連(大伴氏・物部氏)や大臣(蘇我氏)らが
天皇を決め政権をとっていた。このため、豪族を序列化し氏や姓にとらわれることなく優秀な人材を登用化することと天皇
の地位を権威強化することを目的とした
★12階冠位の位置と冠の色(高い色)
1 | 大徳 | 紫 | (濃) | 7 | 大信 | 黄 | (濃) |
2 | 小徳 | 〃 | (淡) | 8 | 小信 | 〃 | (淡) |
3 | 大仁 | 青 | (濃) | 9 | 大義 | 白 | (濃) |
4 | 小仁 | 〃 | (淡) | 10 | 小義 | 〃 | (淡) |
5 | 大礼 | 赤 | (濃) | 11 | 大智 | 黒 | (濃) |
6 | 小礼 | 〃 | (淡) | 12 | 小智 | 〃 | (淡) |
陰陽五行説にもとづき決められたと思われる
↓
古代中国に端を発する自然哲学の思想で、万物は木火土金水の五種類の元素からなり、順送りに相手を生み出す陽の
関係の相性と、相手とは敵対していく陰の関係の相克があるという思想
■大は陽 小は陰
■天は陽 地は陰
■気(性質)
木気は 春 東 青
火気は 夏 南 赤
土気は 土用 黄
↓
一年の四季(春夏秋冬)に五行の土があてはまらないため、各四季の終わり18日に土気をあて土用という
金気は 秋 西 白
水気は 冬 北 玄
参考 大相撲の土俵上のつり屋根の房の由来
土俵が黄色
青房 つり屋根の北東部 春と青龍を表す
赤房 〃 南東部 夏と朱雀 〃
白房 〃 南西部 秋と白虎 〃
黒(玄)房 〃 北西部 冬と玄武神〃
※大相撲の「土俵入りでしこをふむ」姿は、邇邇芸命が高千穂の峯に天孫降臨する際に、道案内をする猿田彦
の神で武人の神タケミカズチの神が太刀持ちをもって邇邇芸命を守っているのを神事で表している
3.17条の憲法
官僚や貴族が守るべき道徳的な規範を17条にまとめた
17とは数の極みにもとずく合算した数字である。(陽数と奇数は9が良い、奇数と陽数は8が良い)
4.遣隋使のころの時代背景と記録
①中華柵封体制
北テキ
↓
西戎 → 中華 ← 東夷
↑
南蛮
②往来
回 順 | 西暦 | 日本 | 中国 |
一回目 | 600年 | 日本書紀に記録なし | 隋書倭国伝に記載「倭王姓は阿母、字は・・・」 |
二回目 | 607年 | 小野妹子7月出発608年4月帰国 通訳鞍作福利 |
「日出処天子、致処天子、致処日没処天子・・・」
|
三回目 | 608年 | 608年3月隋に到着 | |
四回目 | 608年 | ||
五回目 | 610年 | 610年隋に到着 | |
六回目 |
犬上君御田鍬 谷田部造 |
③隋は高句麗と戦争中だった
⑩古事記神話(前)
1.古事記は、712年、第43代元明天皇へ太安万侶が献上した現存できる日本最古の歴史書である
2.古事記の構成
①上巻 神話で上と下に分かれる 神の世界を記述
②中巻 初代神武天皇~15代応神天皇 神と人の間のことを記述
③下巻 16代仁徳天皇~33代推古天皇 人の世界のことを記述
【参考】
日本書紀 (720年舎人親王)も歴史書
全30巻 1~2巻が神話
3~30巻 初代神武天皇~41代持統天皇まで(2~9代の欠史八代の天皇はまとめて四巻に入っている)
3.創生の神々
①五柱の別天つ神
⑴世界の最初に三つの神が生まれた(造化の三神) →男女の性別がなく姿を地上にあらわさなかった神である
天之御中主神 あめのなかぬしのかみ
高御産巣日神 たかみむすびのかみ
神産巣日神 かみむすびのかみ
⑵続いて二柱の神が生まれた → 独身として身を隠す天の神
宇摩志阿斯̪詞備比古達神 うまあしかびひこじのかみ
天之常立神 あめのところたちのかみ
②神代七代(以下の⑴⑵をいう)
⑴次に二つの神が生まれた
国之常立神 くにのところたちのかみ
豊雲野神 とよくものかみ
⑵続いて5組10柱の神が生まれた(2柱で1代)
男性 女性
①ウタダニノカミ スヒチニノカミ
②ツノグヒノカミ イクジヒノカミ
③オホトノジノカミ オホトノべノカミ
④オモダルノカミ アヤカシ͡コネノカミ
⑤イザナギノカミ イザナミノカミ
③天の神々はイザナギとイザナミの2柱のの神に国の完成を命ず。
2つの柱は天の柱に立ち沼矛で混沌をかき混ぜしずくがおちて重なりオノコロ島ができた。
そして、そこで男女の交わりで国生み・神生みを行う
国生み
⑴大八島国 ⑵続いて六島を生む
①伊予之二名島(四国) ①吉備の児島(岡山県の児島半島)
②筑紫島(九州) ②小豆島
③淡路島 ③大島(山口県屋代島)
④隠岐之三子島 ④女島(ひめしま大分県)
⑤伊伎島(壱岐島) ⑤知か島(長崎県五島)
⑥津島(対馬) ⑥両児島(ふたごのしま 特定不可)
⑦佐渡島
⑧大倭豊秋津島(本州)
神生み
1. 石・木・海 大綿津見神 わだつみのかみ
水・風・山 大山津見神
その他、火など森羅万象の神が含まれている
2.そして、イザナミが火の神(カグツチを生んで亡くなったため比婆山(出雲と伯耆の国境)に葬る
このあと、カグツチを殺す
⑪古事記神話(後)
1.古事記におけるイザナギとイザナミの話、オオクニヌシノミコト(大国主命)、ニニギノミコト(邇邇芸命)の話等
下のテキスト画像参照してください
2.古事記と日本書紀のイザナギとイザナミの神話の内容の主な違い
古事記 | 日本書紀 |
陰陽思想をあまり強調していない | 神話の最初に陰陽思想を強調 |
イザナギ・イザナミ二神の神生みの途中、火の神を生んだ イザナミは死に黄泉の国へ行く |
イザナミは死なず、二柱で最後まで神を生み続ける ※柱とき神様を数えるのに柱としている(神のよりしろである) |
イザナギは妻イザナミを連れ戻そうと黄泉の国へ行くが逃げ帰る | 黄泉の国の話はすべてではない |
イザナギのみそぎにより三貴神が生まれる | イザナギとイザナミの夫婦神により三貴神が生まれる |
アマテラス【姉】左目から生まれる 高天原統治 | |
ツクヨミ【兄】 右の目から生まれる 月の神で夜の世界統治 | |
スサノオ【弟】 鼻から生まれる 海原を統治 | |
スサノオは海に行かず母の国の黄泉の国へ行きたがる | スサノオは初めから根の国(黄泉の国)を治めることになっている |
スサノオは高天原で大暴れする | スサノオの乱暴でアマテラスに怪我を負わせる |
スサノオは根の国(黄泉の国)へ追放される | |
高天原の観念が強く出ている | 高天原の観念はあまり強くない |
3.高天原、葦原中国、根の国
①高天原
アマツカミ(天神) →子孫は神武天皇
我々が作り上げた観念の世界
天の橋(イザナギ、イザナミ)
アマテラス →スサノオが大暴れするため岩戸に隠れる話で有名(アメノウズメが踊りで開いた)
八百万の神
②葦原中国(あしはらなかつくに)
我々がすんでいる人間社会
クニツカミ(国神)がいる
スサノオの息子の大国主命は葦原中国を高天原へ譲った→ 国譲り
■崩御とは 崩はカムアガルといい神となって高天原へあがっていくこと
③根の国(黄泉の国)
スサノオはイザナギから海の統治をめいじられたが嫌がって黄泉の国へ行きたがる
いとまごいをするために高天原へ行く
姉の天照大神は自分の国をのっとるためかと誤解するが誓約で潔白を証明したので
高天原に居座り有頂天になり大暴れする。
この後、根の国へ追放去れる。