上画像は奈良県の纏向遺跡の説明板
復習 高齢者学習講座 日本の古代史
「日本の古代史 23 【空白の四世紀❶】」
1.空白の四世紀にはどんなことがことがあったのだろうか
①中国の史書で知る倭国の様子
BC | 倭国百余国に分裂 | 漢書地理誌 | |||||||
57 | 倭奴国王朝貢金印賜る | 後漢書東夷伝 | |||||||
107 |
倭国王が生口120人献上 |
後漢書東夷伝 | |||||||
188 | 倭国大動乱、卑弥呼共立 | 魏志倭人伝 | |||||||
239 | 卑弥呼、魏に朝貢し「親魏倭王」の金印を授与される | 魏志倭人伝 | |||||||
247 |
倭国、狗奴国と交戦、卑弥呼死す この後、倭国は男王たてるが国が乱れ、卑弥呼の宋女「台与」を共立、国の乱れおさまる |
魏志倭人伝 | |||||||
266 | 倭の女王朝貢 | 晋書倭人伝 | |||||||
300~ | 空白の四世紀 | ||||||||
396 | 倭王賛あり | 梁書諸夷伝 | |||||||
421 | 倭王賛朝貢 | 宋書倭国伝 | |||||||
430 | 倭国王朝貢 | 宋書文帝伝 | |||||||
438 | 倭国珍朝貢 | ||||||||
443 | 倭国済朝貢 | ||||||||
462 | 倭国世子興朝貢、「安東(アントン)将軍」に任命 | 宋書倭国伝 | |||||||
478 | 倭国武朝貢 | 宋書倭国伝 |
2. 3~4世紀の大和朝廷は征服王朝なのか
①征服王朝をとる根拠
⑴神武東征説
⑵邪馬台国九州説
⑶王朝交替説
➁大和をだれが征服したのか
⑴邪馬台国が大和を征服し神武東征説として伝承
⑵邪馬台国を倒した狗奴国の王が大和に東遷した
⑶最初に「吉備」が、次いで「出雲」が、最後に「九州勢力」が東遷し大和に王朝を築いた
この根拠は「前方後円墳」の成り立ち過程があげられる(円墳と方墳の成り立ち)
⑷騎馬民族王朝説
2世紀ごろ ユーラシア大陸北方に住む新モンゴル系のツングース族等の騎馬民族が朝鮮半島へ
3世紀 任那の城からミマキイリヒコの第10代崇神天皇がきて九州北部へ
それ以前は日向3代の神話の時代
●初代神武天皇と10代崇神天皇は共に「ハツクニシラスシメラノミコト」という
●欠史8代(2~9代)の該当の8の天皇は古事記・日本書紀にかいてあるが実在したか賛否が分かれている
そして、15代応神天皇をモデルとした神武伝説で大和地方へ入り、大和王朝(河内王朝)をつくる
3. 古事記にもとずく「神武東征の足取り」
①九州から大和へ 17年かかっている
日向→宇佐→筑紫→安芸→高嶋宮→難波→熊野→吉野→大和
➁熊野から大和へ、そして即位
⑴ヤムヤマトイワレヒコはイワレヒコ熊の呪力で死にかける
⑵神剣(布都御魂)により生き返る
⑶八咫烏が道案内する
⑷道臣命(大伴氏祖先)が味方に入り、イワレヒコは土蜘蛛族や国栖を破り帰属させる
●国栖(くず)とは縄文人の祖先
⑸イワレヒコはナガスネヒコと最後の決戦、この時「金のトビ」が味方する
⑹ニギハヤギノミコト(物部氏の祖先)はナガスネヒコを殺しイワレヒコに帰順して忠誠を誓った
⑺したがって、イワレヒコは道臣命とニギハヤギノミコトの二人を家来につける
⑻イワレヒコは樫原宮で即位し神武天皇となる
③神武東征伝説はいつつくられたか
⑴7~8世紀の初めの記紀作成時には神武東征伝説はあった
また、6世紀前半の継体王朝の重要ポスト登用との関係がある
⑵根拠
●神剣によりイワレヒコは救われている、これは石神神宮への信仰につながっている
●道案内の八咫烏は山城国の中流豪族、6世紀に入って朝廷に仕える
●道臣命とニギハヤギノミコトが重要な働きをしている
●道臣命の子孫で大伴金村とニギハヤギノミコトの子孫の物部アラカイが大連として継体王朝をささえている
4. 高天原論争
①地上説 新井白石他
⑴国内説
大和説
九州説(豊前説 筑前・筑後説 肥前山門説 南九州説)
常陸説 伊勢説 近江説 その他
⑵国外説
朝鮮説 南中国説 中国東北(満州)説 バビロニア説 マレー説 ポリネシア説 その他
➁天上説 本居宣長他
③作為説 山片蟠桃
「日本の古代史 24 【空白の四世紀❷】」
1.天皇の在位と年齢
①古代天皇の在位を考える(天皇に関する歴史学会の常識)
⑴神武天皇は実在しなかった
⑵欠史八代の天皇(2代綏靖天皇~9代開化天皇)までは天皇の祖先を古くみせるため引き延ばした
⑶10代目の崇神天皇は実在。この崇神天皇をモデルに神武天皇がつくられた。
二人の名前は「ハツクニシラス命」で同じである
⑷初代神武~9代開化まで架空天皇をつくり、しかも古代天皇が人間離れした寿命年齢で伝えられているのは
日本の天皇の起源を古く見せるためである
➁古代天皇の宝算(亡くなった時の年令)と在位のからくり
代 | 天皇名 | 宝算 | 実年齢 | 在位年数 | 実年数 | 代 | 天皇名 | 宝算 | 実年齢 | 在位年数 | 実年数 | ||||||||
1 | 神武 | 127 | 45 | 76 | 19 | 9 | 開化 | 115 | 43 | 60 | 15 | ||||||||
2 | 綏靖 | 84 | 34 | 33 | 8 | 10 | 崇神 | 120 | 43 | 68 | 17 | ||||||||
3 | 安寧 | 57 | 20 | 38 | 10 | 11 | 垂仁 | 140 | 46 | 99 | 25 | ||||||||
4 | 懿徳 | 77 | 29 | 34 | 9 | 12 | 景行 | 106 | 38 | 60 | 15 | ||||||||
5 | 孝昭 | 113 | 36 | 83 | 21 | 13 | 成務 | 107 | 39 | 60 | 15 | ||||||||
6 | 孝安 | 137 | 44 | 102 | 26 | 14 | 仲哀 | 52 | 24 | 9 | 2 | ||||||||
7 | 孝霊 | 128 | 45 | 76 | 19 | 15 | 応神 | 100 | 33 | 69 | 17 | ||||||||
8 | 孝元 | 116 | 44 | 56 | 14 | 16 | 仁徳 | 100 | 45 | 41 | 10 | ||||||||
平均 | 97 | 38 | 60.2 | 15.1 |
③3世紀ごろの古代歴
⑴魏志倭人伝に記載されている「倭人の年令」
「その人寿考あるいは百年、あるいは80~90年」と記載されているように、古代日本列島においては
倭人は一年を二つに分けて二年としていた。
春分~夏至~秋分を一年、秋分~冬至~春分を一年とした
⑵仁徳天皇の国見での記載
古事記 仁徳天皇4年 人々が苦しいので3年間すべての課税をやめる勅を出す
7年 人々の生活が豊かになったが3年間は課税を免除しよう
10年 百姓の人々の家からかまどの煙が立ち上がっており豊かになったので
初めて税を負担させ壊れかけた宮殿の修理をした
※要約 天皇が国見をしたところ百姓の家々からの「かまどの煙」が立っていないので税を取らない勅をだす
3年後「かまどの煙」が立ち込め人々の生活が豊かになつたので税を取った
※古事記では勅どおり3年後課税しているが、日本書紀では6年後課税となっている
2.天皇継承の在位年数
①天皇の親子継承
⑴38代天智天皇~124代昭和天皇まで平均19.72年
⑵天皇の時代別父子継承率
神武 ~ 仁徳 16天皇の内 15人
5~9世紀 20人中 16人 20 %
9~12世紀 33人中 16人 48.5%
13~16世紀 29人中 15人 51.7%
17~20世紀 16人中 12人 66.7%
⑷皇子と皇女の数
1代~16代 皇子70人 皇女28人 計98人
※12代景行天皇は80人ぐらいいたといわれているが不明のため未カウント
17代~31代 皇子 49人 皇女49人 計98人
32~33代は古事記・日本書記に記載なし
➁天皇の兄弟継承
31代の用明天皇~116代桃園天皇までは平均10.50年
③天皇の平均在位
水野裕氏(早稲田大学) 古事記・日本書紀による
推定 崇神~雄略 9天皇 19.6年 11天皇 10.7年
雄略~用明 5天皇 16.3年 10天皇 10.8年
実在 20天皇 10.9年 20天皇 10.9年
9~ 12世紀 33天皇 12.2年 33天皇 12.2年
13~ 16世紀 29天皇 15.6年 29天皇 15.6年
17~ 20世紀 17天皇 22.3年 17天皇 22.3年
➃国別の天皇・国王の在位年数
代 | 天皇名 | 宝算 | 実年齢 | 在位年数 | 実年数 | 代 | 天皇名 | 宝算 | 実年齢 | 在位年数 | 実年数 | ||||||||
1 | 神武 | 127 | 45 | 76 | 19 | 9 | 開化 | 115 | 43 | 60 | 15 | ||||||||
2 | 綏靖 | 84 | 34 | 33 | 8 | 10 | 崇神 | 120 | 43 | 68 | 17 | ||||||||
3 | 安寧 | 57 | 20 | 38 | 10 | 11 | 垂仁 | 140 | 46 | 99 | 25 | ||||||||
4 | 懿徳 | 77 | 29 | 34 | 9 | 12 | 景行 | 106 | 38 | 60 | 15 | ||||||||
5 | 孝昭 | 113 | 36 | 83 | 21 | 13 | 成務 | 107 | 39 | 60 | 15 | ||||||||
6 | 孝安 | 137 | 44 | 102 | 26 | 14 | 仲哀 | 52 | 24 | 9 | 2 | ||||||||
7 | 孝霊 | 128 | 45 | 76 | 19 | 15 | 応神 | 100 | 33 | 69 | 17 | ||||||||
8 | 孝元 | 116 | 44 | 56 | 14 | 16 | 仁徳 | 100 | 45 | 41 | 10 | ||||||||
平均 | 97 | 38 | 60.2 | 15.1 |
時代 | 日本の天皇 | 中国の王 | 西洋の王 | 世界の王 | |||||||||
1~4世紀 | ? | 10.05 | 9.04 | 10.56 | |||||||||
5~8世紀 | 10.88 | 6.10 | 13.32 | 11.57 | |||||||||
9~12世紀 | 12.24 | 13.63 | 17.30 | 15.57 | |||||||||
13~16世紀 | 15.63 | 14.12 | 20.71 | 17.91 | |||||||||
17~20世紀 | 23.00 | 22.70 | 25.53 | 19.40 | |||||||||
全体平均 | 12.86 | 12.50 | |||||||||||
「日本の古代史 25 【空白の四世紀❸】」
1.神武天皇以後の欠史八代は実在したか
①初代神武天皇 卑弥呼の死後の238年以後の280年代か
➁その後が欠史八代
③10代崇神天皇 360年
➃21代雄略天皇
➄25代武烈天皇
⑥新王朝 飛鳥白鳳時代200年 17代 11.7年
⑦26代継体天皇 507年 年代がわりとハッキリしてくる
⑧31代用明天皇 585年 年代が明確になってくる
➈奈良・平安 70年 7代 平均 10年在位
※ 平安時代 50代桓武天皇~59代宇多天皇 28年 10代 平均 11.6年
2.実在した根拠
「さきたま古墳群の稲荷山古墳」の「金錯銘鉄剣」の出土文字からの根拠
①刀の持ち主「オワケ」が「オオハツセノワカタケ(雄略天皇)」の杖刀人であったこと
➁刀にオワケの祖先「オオビコ」が明記されており、日本書紀の崇神天皇紀に「大彦をもって北陸に
遣わす」と四道将軍として記載されている
③その他刀には、家系が明記されており、年数を勘案しても欠史八代のそれぞれの天皇につかえたと思われる
3.欠史八代が実在したと勘案した年表
①2世紀末 倭国大乱 邪馬台国卑弥呼を共立
➁3世紀
238年 卑弥呼「魏」に朝貢
247年 卑弥呼死す 男王たてるが乱が起こる
250年 台与擁立 乱おさまる
270 ~280年 神武東遷して大和で即位
③4世紀 欠史八代の天皇らは、畿内統一に力を注ぐ
350~ 360年 崇神天皇が四道将軍派遣
380年 ヤマトタケルの東国遠征
390年 神功皇后の新羅遠征(「好太王碑文」とほぼ一致)
➃5世紀
421~ 478年 倭の五王の南宋への朝貢・行幸が続く(宋書倭国伝に記載あり)
「日本の古代史 26 【空白の四世紀➍】」
1.現在の日本古代史学会の常識
①神話は作り話である
なんでつくられたのか
日本の天皇が神の子孫であることをしめすため、記紀成立の7世紀末~8世紀初頭の政治状況を
神話の形で反映した
➁初代の神武と2~9代までの欠史八代の天皇は存在しない
なぜ、空白の天皇を作ったのか
人間離れした寿命を持ち実在したとは思えない
天皇の治世を古く見せるためつくられた
欠史八代の天皇は「帝紀」のみで「旧辞」にはない
※「旧辞」とは父母がはっきりとした系図や歴史書
③記紀に登場する架空の人物
倭建命(日本武尊)
神功皇后
➃初代の天皇は崇神天皇(実在)で神武のモデルとなっている
崇神・神武ともに「ハツクニシラススメラミコト」という
なお、応神天皇を最初の天皇とする説もある
➄三王朝交替説(水野裕説)
2.大和王朝成立の過程 三王朝交替説(水野裕説)
①弥生時代 ニギㇵヤギが大和盆地を治めていく
➁古墳時代
⑴先王朝 葛城王朝→架空の王朝
初代神武~9代開化
⑵古王朝 三輪王朝 鏡・勾玉など呪術的な出土品
10代崇神~ 14代仲哀・(神功皇后)
⑶中王朝 応神・仁徳・征服王朝 武具・馬具など軍事的民族的出土品
15代応神~ 25代武烈
⑷新王朝 近江王朝
26代継体~ 30代敏達~現在の天皇
3.天孫降臨神話の伝わり方(天皇家のルーツ?)
東満州・北朝鮮(扶余・高句麗) →→ 南朝鮮(加羅・任那) →→ 北九州(筑紫) →→ 大和(畿内)
※「葦原中国」はどこか
古事記に13回あらわれるが「出雲」の国だと思われる
「出雲の国譲り」の意味は高天原に降伏したことか
4.古事記等における最高主権者的な存在の変化
①古事記における詔の数
天の岩戸事件前 事件後 計
天照大御神 16 6 22
天照高木ペア 0 7 7
高御産巣日神 0 2 2
計 16 15 31
➁日本書紀における詔り数
天照大御神 18 1 19
高御産巣日神 0 12 12
計 18 13 31
③天照大御神の天の岩戸の意味すること
⑴日食説 荻生徂徠(江戸時代)など
東南アジアにおける日食神話と似ていると説く 民俗学者や神話学者に多い
⑵死去説 和辻哲郎など
国文学者の池田弥三郎、作家の松本清張などが主張
天戸岩こもりは天照大御神の死去を意味する
⑶火山説 物理学者で随筆家の寺田寅彦
天照大御神が岩屋に閉じこもり高天原も葦原中国も暗くなったのは火山の
噴火で空や地上がみな暗くなったことをかたっている
⑷冬至説 折口信夫(国文学者・民俗学者)
冬至の時期は太陽の力が最も弱まり、冬至の祈りは太陽の再生を願い
それにより太陽の魂の力をよみがらせようとするもの
⑸安本美典の説 247年と248年にわたって皆既日食がきた この247年に卑弥呼が死去
5.神話の天照大御神を邪馬台国の卑弥呼とみる考え方
⑴魏志倭人伝で卑弥呼の死後に争乱あり、男王をたてたが国中不服で治まらず、相争って
1000人死んだ
⑵古事記で、天照大御神が天の岩戸に隠れた後、スサノオが八百万の神々により高天原から
追放されて根の国に追いやられる →→このことは「女王卑弥呼の死後男王をたてた」ことを意味
「日本の古代史 27 【空白の四世紀❺】」
1.現在の日本古代史学会の「天皇に対する常識」
①天皇家は三度王朝が交替している
⑴四世紀 古王朝 崇神王朝・三輪王朝
⑵五世紀 中王朝 応神・仁徳王朝・征服王朝・河内王朝
⑶六世紀~現代 新王朝 継体王朝・近江王朝
➁「ハツクニシラススメラミコト」と呼ぶ神武天皇は崇神天皇をモデルに作りあげた架空の天皇で実在しない
10代目の崇神天皇こそ「ハツクニシラススメラミコト」といわれ実在した最初の天皇である
③欠史八代の天皇は作り上げられた架空の天皇である
2代目綏靖天皇~9代目開化天皇は日本の建国(天皇の歴史)を古く見せるために作り上げられた
➃古事記に宝算(没年)のない天皇は存在しない
➄神武天皇の橿原神宮での即位年 紀元前660年の根拠
⑴天皇の寿命が上代に遡るほど人間離れした長さになるのは中国の辛酉革命説をとりいれている
「60年に一度変革がおきる」
⑵ 上の⑴に加え「一蔀」(干支が20回めぐること)の「蔀幸酉大革命説」もとりいれている
20回× 60干支=1200年
⑶ ⑴と⑵を合わせた1260年を聖徳太子が斑鳩の宮へ移った601年幸酉(推古9年)をさかのぼって
紀元前660年としてその年2月11日を紀元としている
⑥日本武尊(倭建命)は存在しない
複数の英雄的働きをした人物をモデルに作られた英雄の物語のフィクションである
⑦神功皇后(14代仲哀天皇の皇后)は実在の人物ではない
では、だれをモデルに作られた人物なのか
⑧神話は作り話である
⑴日本神話のルーツはユーラシア北東部の天孫降臨神話と東南アジア方面に伝わる稲作農耕神話が
もとになってつくられている
⑵日本のアニミズム(自然崇拝)信仰が物語の中に流れている
➈古事記・日本書紀は上代に遡るほど信憑性が薄くなる
2.天孫降臨神話の伝わり方(天皇家のルーツ?)
東満州・北朝鮮(扶余・高句麗) →→ 南朝鮮(加羅・任那) →→ 北九州(筑紫) →→ 大和(畿内)
3.稲荷山古墳(埼玉県行田市さきたま古墳群)の出土のオワケの剣から何がわかるのか
剣にオワケの先祖が順に明記されている これを歴代の天皇の順に並べ比べると
天皇名 没年 天皇との関係 剣記載名前
10代崇神 318 四道将軍派遣の一人 大彦(オオビコ)
垂仁 ⇂
景行 タカリノスクネ
成務 355 テヨカリワケ
仲哀 362 タカハシワケ
15代応神 394 タサキワケ
仁徳 427 ハテビ
履中 432 カサハヨ の順に歴代天皇に仕える
反正 438
允恭 462↓
20代安康
21代雄略 489 警備隊長 オワケ
4.天つ神系(渡来民族・弥生人) 対 国つ神(先住民族・縄文人) の抗争関係
①邪馬台国時代
邪馬台国(卑弥呼248年没・台与) 対 狗奴国(卑弥弓呼)
➁大和国家(大和朝廷)時代
⑴神武 対 出雲国、ナガスネヒコ
⑵四道将軍(各地遠征) 対 蝦夷
⑶日本武尊 対 東西遠征・東国平定
̪⑷794年坂上田村麻呂(東北平定) 対 アテルイ
「日本の古代史 28 【空白の四世紀❻】」
1.日本書紀による古代天皇と宝算(没年)と在位年数
①古代歴 3世紀ごろを勘案した在位
⑴魏志倭人伝に倭人の年令について記述あり
「其の人は寿考にして、或は百年或は八、九十年なり」
「その俗正歳四節を知らず、ただ春耕秋収をはかり年紀となす」とある
つまり 「春分→夏至を一年。 →春分・冬至→春分を一年」としていた
従って、下表の日本書紀の神武天皇の実際の宝算(没年)は
127- 在位年数76-=51 51÷2=25.5 約26年
26+(76÷ 4)=45 →→ 崩御時点実年令
⑵天皇の国見(仁徳天皇)
❶日本書紀
仁徳天皇4年 人々が貧しいので3年間すべての課役をやめる勅をだす
仁徳天皇7年 人々の生活が豊かになったがもう3年間は課税をやめるとした
仁徳天皇10年 百姓の家々からかまどの煙がたちのぼっており、豊かになり、はじめて
税を負担させ壊れかけた宮殿の修理をした
❷古事記
天皇が国見をしたところ、百姓の家からかまどの煙がたちのぼらないほど人々が貧しいので
3年間税を取らない勅令をだす
3年後かまどの煙が立ち込めて人々の生活が豊かになったので税をとった
❸古事記では勅どおり3年後に課税しているが日本書紀では6年後になっているのは何故か、その意味は
代 | 天皇名 | 宝算 | 在位 | 実没年令 | 実在位 | 代 | 天皇名 | 宝算 | 在位 | 実没年令 | 実在位 | ||||||||||||||||
1 | 神武 | 127 | 76 | 45 | 19 | 17 | 履中 | 70 | 6 | 70 | 3 | ||||||||||||||||
2 | 綏靖(すいぜい) | 84 | 33 | 44 | 8 | 18 | 反正 | 60 | 5 | 60 | 3 | ||||||||||||||||
3 | 安寧 | 57 | 38 | 20 | 10 | 19 | 允恭 | 81 | 42 | 81 | 21 | ||||||||||||||||
4 | 懿徳 | 72 | 34 | 28 | 8 | 20 | 安康 | 56 | 3 | 56 | 3 | ||||||||||||||||
5 | 孝昭 | 114 | 83 | 31 | 21 | 21 | 雄略 | 62 | 23 | 62 | 23 | ||||||||||||||||
6 | 孝安 | 137 | 102 | 44 | 26 | 22 | 清寧 | 41 | 5 | 41 | 5 | ||||||||||||||||
7 | 孝霊 | 110 | 76 | 36 | 19 | 23 | 顕宗 | 36 | 3 | 36 | 3 | ||||||||||||||||
8 | 孝元 | 117 | 57 | 44 | 14 | 24 | 仁賢 | 50 | 11 | 50 | 11 | ||||||||||||||||
9 | 開化 | 115 | 60 | 43 | 15 | 25 | 武烈 | 18 | 8 | 18 | 8 | ||||||||||||||||
10 | 崇神 | 120 | 68 | 43 | 17 | 26 | 継体 | 82 | 26 | 82 | 25 | ||||||||||||||||
11 | 垂仁 | 140 | 99 | 46 | 25 | 27 | 安閑 | 70 | 2 | 70 | 2 | ||||||||||||||||
12 | 景行 | 106 | 60 | 38 | 15 | 28 | 宣化 | 73 | 4 | 73 | 4 | ||||||||||||||||
13 | 成務 | 107 | 59 | 39 | 15 | 29 | 欽明 | 62 | 32 | 62 | 32 | ||||||||||||||||
14 | 仲哀 | 52 | 9 | 2 | 30 | 30 | 敏達 | 48 | 14 | 48 | 14 | ||||||||||||||||
神功皇后 | 100 | 69 | 27 | 17 | 31 | 用明 | 69 | 2 | 69 | 2 | |||||||||||||||||
15 | 応神 | 110 | 41 | 45 | 10 | 32 | 崇峻 | 72 | 5 | 72 | 5 | ||||||||||||||||
16 | 仁徳 | 110 | 87 | 30 | 22 | 33 | 推古 | 73 | 36 | 73 | 36 | ||||||||||||||||
平均 | 104.4 | 61.6 | 37.7 | 14.6 | 平均 | 60.1 | 13.3 | 60.1 | 10.5 | ||||||||||||||||||
➁古代歴をもとに石澤一由の考えた古代天皇の在位
⑴31代用明天皇以降年代がはっきりしている
⑵石澤説で154年に神武天皇が即位したとして開化天皇の293年まで倭国大乱があったのだろうか
また、卑弥呼の死んだ248年との関係があわないので矛盾しているのでは
下:単位は年
石澤説 | 日本書紀による | 石澤説 | 日本書紀による | |||||||||||||||||||||||||
代 | 天皇名 | 即位 | 退位 | 即位 | 退位 | 代 | 天皇名 | 即位 | 退位 | 即位 | 退位 | |||||||||||||||||
1 | 神武 | 154 | 172 | 紀元前660 | 585 | 17 | 履中 | 429 | 431 | 400 | 405 | |||||||||||||||||
2 | 綏靖(すいぜい) | 173 | 180 | 581 | 549 | 18 | 反正 | 432 | 434 | 406 | 410 | |||||||||||||||||
3 | 安寧 | 181 | 190 | 549 | 511 | 19 | 允恭 | 435 | 455 | 412 | 453 | |||||||||||||||||
4 | 懿徳 | 191 | 198 | 510 | 477 | 20 | 安康 | 456 | 458 | 453 | 456 | |||||||||||||||||
5 | 孝昭 | 199 | 219 | 475 | 393 | 21 | 雄略 | 459 | 481 | 456 | 479 | |||||||||||||||||
6 | 孝安 | 220 | 245 | 392 | 291 | 22 | 清寧 | 482 | 486 | 480 | 484 | |||||||||||||||||
7 | 孝霊 | 246 | 264 | 290 | 215 | 23 | 顕宗 | 487 | 489 | 485 | 487 | |||||||||||||||||
8 | 孝元 | 265 | 278 | 214 | 158 | 24 | 仁賢 | 490 | 500 | 488 | 498 | |||||||||||||||||
9 | 開化 | 279 | 293 | 158 | 98 | 25 | 武烈 | 501 | 508 | 498 | 506 | |||||||||||||||||
10 | 崇神 | 294 | 310 | 97 | 30 | 26 | 継体 | 509 | 533 | 507 | 531 | |||||||||||||||||
11 | 垂仁 | 311 | 335 | 29 | 紀元後70 | 27 | 安閑 | 534 | 535 | 531 | 535 | |||||||||||||||||
12 | 景行 | 336 | 350 | 71 | 130 | 28 | 宣化 | 536 | 539 | 535 | 539 | |||||||||||||||||
13 | 成務 | 351 | 365 | 131 | 190 | 29 | 欽明 | 540 | 571 | 539 | 571 | |||||||||||||||||
14 | 仲哀 | 366 | 367 | 192 | 200 | 30 | 敏達 | 572 | 585 | 572 | 585 | |||||||||||||||||
神功皇后 | 368 | 377 | 201 | 270 | 31 | 用明 | 586 | 587 | 585 | 587 | ||||||||||||||||||
15 | 応神 | 378 | 405 | 270 | 310 | 32 | 崇峻 | 588 | 592 | 587 | 592 | |||||||||||||||||
16 | 仁徳 | 406 | 428 | 313 | 399 | 33 | 推古 | 593 | 628 | 592 | 628 | |||||||||||||||||
2.世界の王族の最長在位記録
順位 王名 即位 期間 在位年数
1 ルイ14世 5歳 1643~1715 73年間
2 ビクトリア女王(英) 18歳 1837~1901 65年間
3 昭和天皇 25歳 1926~1981 64年間
4 康熙帝(こうきてい) 8歳 1661~1722 62年間
3.「世紀の時期」の呼び方
30~40年 (430~440年 5世紀前半 )
40~60年 (440~460年 5世紀中頃 )
60~80年 (460~480年 5世紀後半 )
80~90年 (480~490年 5世紀末 )
4.鎌倉~江戸時代までの幕府為政者と天皇の平均在位年数の比較
①比較
区分 年数 代数 1世代当たり年数
為政者 683年 52代 13.13年
天皇 697年 43代 16.20年
➁時代毎幕府在位内訳
時代 為政者年数 為政者の代数 内訳 1世代あたり平均在位年数
鎌倉 158年 19代 ①源頼朝(1192~1199)~⑲北条守時(1326~1337) 8.32年
室町桃山 235年 16代 ①足利尊氏(1338~ 1358) ~⑯足利義昭(1568~ 1573) 14.69年
江戸 265年 15代 ①徳川家康(1603~1605) ~徳川慶喜(1866~1867) 17.67年
5.その他
①天皇の地位と力は律令になると発する命令や行為についてぱ特に太政官によって権限が制約されて弱くなっている
➁古代天皇の在位の年数を大きめに決める諸説の人 →津田左右吉 直木幸次郎 井上光貞
「日本の古代史 29 【空白の四世紀➐】」
1.天皇の在位年数を大きめに決める諸説
2.「世界の王」と「日本の天皇」の平均在位年数等について
①世界の王の平均在位年数
時代 平均在位年数
1~ 4世紀 10.56年
5~ 8世紀 11.57年
9~12世紀 15.57年
13~16世紀 17.91年
17~20世紀 19.16年
➁天皇の平均在位年数推定(水野裕説)
水野裕の説 | 古事記・日本書記 | |||||||||||||||||||||
区分 | 天皇数 | 平均在位年数 | 天皇数 | 平均在位年数 | ||||||||||||||||||
崇神~雄略 | 9 | 19.0 | 11 | 10.7 | ||||||||||||||||||
雄略~用明 | 6 | 16.3 | 10 | 10.8 | ||||||||||||||||||
用明~8世紀 | 20 | 10.9 | 20 | 10.9 | ||||||||||||||||||
9~12世紀 | 33 | 12.2 | 33 | 12.2 | ||||||||||||||||||
13~16世紀 | 29 | 15.6 | 29 | 15.6 | ||||||||||||||||||
17~20世紀 | 17 | 22.3 | 17 | 22.3 | ||||||||||||||||||
3.古代天皇を非実在の天皇だとする根拠
①第2代から第9代までの8代の天皇には古事記や日本書紀に帝紀(系図的記事)があるだけで
旧辞(天皇にまつわる物語)がなく架空の天皇である
➁第2代の綏靖天皇から第9代の開化天皇に至る8代の天皇の名が後世的である
※欠史8代の天皇の和風諡号(わふうしごう←送り名のこと)が後世的である
代 | 漢風諡号 | 天皇の名(和風諡号) | 代 | 漢風諡号 | 和風諡号 | 代 | 漢風諡号 | 和風諡号 | 代 | 漢風諡号 | 和風諡号 | ||||||
1 | 神武 | カムイヤマトイワレヒコ | 17 | 履中 | イザホワケ | 34 | 舒明 | オキナガタラシヒコヒロヌカ | 51 | 平城 | ヤマトネコアメオシクニタカヒコ | ||||||
2 | 綏靖(すいぜい) | カムヌナカワミミ | 18 | 反正 | タジヒノミズへワケ | 35 | 皇極 | アメトヨタカライカシヒタラシヒメ | 52 | 嵯峨 | カミノ | ||||||
3 | 安寧 | シキッヒコタマテミ | 19 | 允恭 | オワサジマワクゴノスクネ | 36 | 孝徳 | アメヨロズトヨヒ | 53 | 淳和 | ヤマトネコアメタカユズルイヤㇳオ | ||||||
4 | 懿徳 | オホヤマトネコスキトモ | 20 | 安康 | アナホ | 37 | 斉明 | 35代皇極と同一人 | 54 | 仁明 | ヤマトネコアメシルシトヨサト | ||||||
5 | 孝昭 | ミマツヒコカエシネ | 21 | 雄略 | オホハッセノワカタケ | 38 | 天智 | アメミコトヒラカスワケ | |||||||||
6 | 孝安 | オホヤマトタラシヒコクニオシヒト | 22 | 清寧 | シラカノオホヤマトネコ | 39 | 弘文 | オホトモ | |||||||||
7 | 孝霊 | ナホヤマトネコヒコフトニ | 23 | 顕宗 | ヲケ | 40 | 天武 | アメノヌナハラオキノマヒト | |||||||||
8 | 孝元 | ナホヤマトネコヒコクニクル | 24 | 仁賢 | オケ | 41 | 持統 | オホヤマトネコアメノヒロノヒメ | |||||||||
9 | 開化 | ワカヤマトネコヒコオオビビ | 25 | 武烈 | オハッセノワカササギ | 42 | 文武 | ヤマトネコトヨオオジ | |||||||||
10 | 崇神 | ミマキイリヒコイエニエ | 26 | 継体 | ナホ十 | 43 | 元明 | ヤマトネコアマツミシロトヨ二ナリヒメ | |||||||||
11 | 垂仁 | イクメイリヒコイサチ | 27 | 安閑 | ヒロクニオシタケカナビ | 44 | 元正 | ヤマトネコタカミズキヨタラシヒメ | |||||||||
12 | 景行 | オホタラシヒコオシロワケ | 28 | 宣化 | タケオヒロクニオシタテ | 45 | 聖武 | アメシルクニオシハルキトヨサクラヒコ | |||||||||
13 | 成務 | ワカタラシヒコ | 29 | 欽明 | アメクニオシハルネヒロニワ | 46 | 孝謙 | アベ | |||||||||
14 | 仲哀 | タラシナカツヒコ | 30 | 敏達 | ヌナクラフトタマシキ | 47 | 淳仁 | オホイ | |||||||||
31 | 用明 | タチバナノトヨヒ | 48 | 称徳 | 44代孝謙と同一人 アベ7 | ||||||||||||
15 | 応神 | ホムダワケ | 32 | 崇峻 | ハッセべノワカサザキ | 59 | 光仁 | シラカベアメムネタカツギ | |||||||||
16 | 仁徳 | ナホサザキ | 33 | 推古 | トヨミケカシキアヒメ | 50 | 桓武 | ヤマトネコアマツヒツギイヤテラス | |||||||||
③初代神武天皇から第9代開化天皇に至る9代の天皇の継承は父子継承関係であり、
古代においては兄弟継承が多いのが普通で、7世紀末から8世紀初めの記紀成立期
の思想を反映しつくられたものである
※古代の天皇は兄弟継承が多いのに父子継承である
⑴記紀による天皇の続柄
ニニギノミコト | 末子 | ||||||||||
ヒコホホデミミコト | 末子 | ||||||||||
ウガヤフキアエズノミコト | 兄弟なし | ||||||||||
代 | 天皇名 | 続柄 | 代 | 天皇名 | 続柄 | ||||||
1 | 神武 | 末子 | 17 | 履中 | 長子 | ||||||
2 | 綏靖(すいぜい) | 末子 | 18 | 反正 | 第3子 | ||||||
3 | 安寧 | 兄弟なし | 19 | 允恭 | 末子 | ||||||
4 | 懿徳 | 第2子 | 20 | 安康 | 第̪4子 | ||||||
5 | 孝昭 | 長子 | 21 | 雄略 | ? | ||||||
6 | 孝安 | 末子 | 22 | 清寧 | 長子 | ||||||
7 | 孝霊 | 末子 | 23 | 顕宗 | 末子 | ||||||
8 | 孝元 | 兄弟なし | 24 | 仁賢 | 長子 | ||||||
9 | 開化 | 末子 | 25 | 武烈 | 第4子 | ||||||
10 | 崇神 | 長子 | 26 | 継体 | 不明 | ||||||
11 | 垂仁 | 長子 | 27 | 安閑 | 長子 | ||||||
12 | 景行 | 第2子 | 28 | 宣化 | 末子 | ||||||
13 | 成務 | 長子 | 29 | 欽明 | 兄弟なし | ||||||
14 | 仲哀 | 兄弟ナシ | 30 | 敏達 | 第2子 | ||||||
31 | 用明 | 長子 | |||||||||
15 | 応神 | 末子 | 32 | 崇峻 | 末子 | ||||||
16 | 仁徳 | 第2子 | 33 | 推古 | 第4子 | ||||||
⑵兄弟継承の場合の天皇の在位年数 22人 平均在位10.50年
代 | 天皇名 | 即位年 | 退位年 | 在位年数 | 代 | 天皇名 | 即位年 | 退位年 | 在位年数 | ||||||||
31 | 用明 | 585 | 587 | 2 | 81 | 安徳 | 1180 | 1185 | 5 | ||||||||
32 | 崇峻 | 587 | 592 | 5 | 83 | 土御門 | 1198 | 1210 | 13 | ||||||||
35 | 皇極 | 642 | 645 | 3 | 89 | 後深草 | 1246 | 1259 | 14 | ||||||||
36 | 孝徳 | 645 | 654 | 9 | 98 | 長慶 | 1368 | 1383 | 16 | ||||||||
51 | 平城 | 806 | 809 | 3 |
北朝1
|
光厳 | 1331 | 1333 | 2 | ||||||||
61 | 朱雀 | 930 | 946 | 16 | 北朝3 | 崇光 | 1348 | 1351 | 3 | ||||||||
63 | 冷泉 | 967 | 969 | 2 | |||||||||||||
68 | 後一条 | 1016 | 1036 | 20 | 109 | 明正 | 1630 | 1643 | 14 | ||||||||
70 | 後冷泉 | 1045 | 1068 | 23 | 110 | 後光明 | 1643 |
1654 |
11 | ||||||||
75 | 崇徳 | 1123 | 1141 | 19 | 111 | 後西 | 1655 | 1663 | 8 | ||||||||
76 | 近衛 | 1141 | 1155 | 14 | 116 | 桃園 | 1747 | 1762 | 15 |
⑶父子継承の場合の天皇の在位年数 46人 平均在位19年
代 | 天皇名 | 即位年 | 退位年 | 在位年数 | 代 | 天皇名 | 即位年 | 退位年 | 在位年数 | ||||||||
39 | 天智 | 661 | 671 | 10 | 90 | 亀山 | 1260 | 1274 | 14 | ||||||||
45 | 聖務 | 724 | 749 | 25 | 92 | 伏見 | 1288 | 1298 | 11 | ||||||||
49 | 光仁 | 770 | 781 | 11 | 96 | 後醍醐 | 1318 | 1339 | 20 | ||||||||
50 | 桓武 | 781 | 806 | 25 | 97 | 後村上 | 1339 | 1368 | 29 | ||||||||
54 | 仁明 | 833 | 850 | 17 |
北朝4 |
後光厳 | 1353 | 1371 | 19 | ||||||||
55 | 文徳 | 850 | 858 | 8 |
北朝5
|
後園融 | 1371 |
1382
|
11 | ||||||||
56 | 清和 | 858 | 876 | 18 |
100 |
後小松 | 1392 | 1412 | 20 | ||||||||
58 | 光孝 | 884 | 887 | 4 |
102 |
後花園 | 1429 | 1464 | 36 | ||||||||
59 | 宇多 | 887 | 897 | 10 |
103 |
後土御門 | 1465 | 1500 | 36 | ||||||||
60 | 醍醐 | 897 | 930 | 33 |
106 |
後柏原 | 1501 | 1526 | 26 | ||||||||
62 | 村上 | 946 | 967 | 21 |
105 |
後奈良 | 1526 | 1557 | 21 | ||||||||
69 | 後朱雀 | 1036 | 1045 | 9 |
107 |
後陽成 | 1586 | 1611 | 24 | ||||||||
71 | 後三条 | 1068 | 1072 | 5 |
108 |
後水尾 | 1611 | 1629 | 19 | ||||||||
72 | 白河 | 1072 | 1086 | 14 |
112 |
霊元 | 1663 | 1687 | 24 | ||||||||
73 | 堀川 | 1086 | 1107 | 21 |
113 |
東山 | 1687 | 1709 | 22 | ||||||||
74 | 鳥羽 | 1107 | 1123 | 16 |
114 |
中御門 | 1710 | 1735 | 26 | ||||||||
77 | 後白河 | 1155 | 1158 | 3 |
115 |
桜町 | 1735 | 1747 | 12 | ||||||||
78 | 三条 | 1158 | 1165 | 7 |
119 |
光格 | 1780 | 1817 | 37 | ||||||||
80 | 高倉 | 1168 | 1180 | 12 |
120 |
仁孝 | 1817 | 1846 | 29 | ||||||||
82 | 後鳥羽 | 1185 | 1198 | 14 |
121 |
孝明 | 1846 | 1867 | 21 | ||||||||
84 | 順徳 | 1210 | 1221 | 10 |
122 |
明治 | 1868 | 1912 | 44 | ||||||||
86 | 後堀川 | 1221 | 1232 | 11 |
123 |
大正 | 1912 | 1926 | 14 | ||||||||
88 | 後嵯峨 | 1242 | 1246 | 4 |
124 |
昭和 | 1926 | 1989 | 63 |
⑷神武天皇は西暦紀元前後の人であるが、紀元前後とすれば記紀成立前の約700年前のこととなる
文字も暦もない時代にそんな昔のことを、どの程度記憶しているのか疑わしい
⑸古事記に天皇の没年干支がないのは実在しないからである
代 | 天皇名 | 干支と西暦 | 実在 | 代 | 天皇名 | 干支と西暦 | 実在 | ||||||
1 | 神武 | 17 | 履中 | 壬申432 | ◯ | ||||||||
2 | 綏靖(すいぜい) | 18 | 反正 | 丁丑437 | ◯ | ||||||||
3 | 安寧 | 19 | 允恭 | 甲午454 | ◯ | ||||||||
4 | 懿徳 | 20 | 安康 | ||||||||||
5 | 孝昭 | 21 | 雄略 | 己巳489 | ◯ | ||||||||
6 | 孝安 | 22 | 清寧 | ||||||||||
7 | 孝霊 | 23 | 顕宗 | ||||||||||
8 | 孝元 | 24 | 仁賢 | ||||||||||
9 | 開化 | 25 | 武烈 | ||||||||||
10 | 崇神 | 戌寅318 258 | ◯ | 26 | 継体 | 丁未527 | ◯ | ||||||
11 | 垂仁 | 27 | 安閑 | 乙卯535 | ◯ | ||||||||
12 | 景行 | 28 | 宣化 | ||||||||||
13 | 成務 | 乙卯355 | ◯ | 29 | 欽明 | ||||||||
14 | 仲哀 | 壬戌362 | ◯ | 30 | 敏達 | 申辰584 | ◯ | ||||||
31 | 用明 | 丁未587 | ◯ | ||||||||||
15 | 応神 | 甲午394 | ◯ | 32 | 崇峻 | 壬子592 | ◯ | ||||||
16 | 仁徳 | 丁卯427 | ◯ | 33 | 推古 | 戌子628 | ◯ | ||||||
4.水野裕氏の説について
①古事記・日本書紀の初代神武天皇から推古天皇までの33代天皇のうち17天皇(1代神武~9代開化、垂仁・景行・安寧・
清寧・顕宗・仁賢・武烈・宣化)は架空の天皇であり実在を否定される
また神功皇后も架空の人物とされる
➁飯豊女帝を1代に加え、木梨軽皇子をそのまま認めて初代天皇を崇神として
成務→仲哀→応神→仁徳→履中→反正→允恭→木梨皇子→雄略→飯豊→継体→安閑→欽明→敏達→用明→崇峻→推古
の18代の天皇を実在とかんがえる
③18代の天皇は血統を異にして3つの王朝に分かれる
⑴古王朝 崇神・成務・仲哀の3代からなる「崇神王朝」
⑵中王朝 応神~飯豊の8代からなる「仁徳王朝」
⑶新王朝 継体から現在の今上天皇にいたる「継体王朝」
※この3つの王朝が交替していることから「三王朝交替説」を唱えている
➃水野説の論理的矛盾
⑴古事記の「旧辞的部分」が全くないのに実在を認めなければならないのが矛盾
❶24代仁賢・25代武烈・26代継体・27代安閑・28代宣化・29代欽明・30代敏達などの天皇の
存在は「ほぼ確実」とされる中で帝紀部分のみで旧辞的部分はほぼ欠けてぃる
❷31代用明・32代崇峻・33代推古まで「実在確実」とされる天皇まで旧辞的部分を欠いている
水野氏はこれら天皇の旧辞的部分が欠いているのにも関わらず実在すると考えている
⑵水野裕氏説の結論
❶神武天皇の場合はその事績が旧辞的部分があっても否定できる
❷綏靖~開化天皇の8代は旧辞的部分がないので実在しない
❸崇神天皇や応神・仁徳天皇は事績があるので実在を肯定できる
➍用明や崇峻天皇・推古天皇は事績は記事がなくても「実在は確実」といわれているので実在は肯定できる
「日本の古代史 30 【空白の四世紀❽まとめ】」
4世紀と前後の主な歴史の流れ(実在しないとされる人物を含む)
2世紀末 | 倭国乱れる | ||||||||||||||||||||||||
180年ごろ | 邪馬台国 卑弥呼共立 | ||||||||||||||||||||||||
3世紀 | 238年 | 卑弥呼が魏に朝貢 | |||||||||||||||||||||||
247年 | 卑弥呼死す 男王たてるが内乱起きる | ||||||||||||||||||||||||
252年 |
台与を共立 内乱おさまる |
||||||||||||||||||||||||
270~280年ごろ |
神武が東遷し大和で即位 |
||||||||||||||||||||||||
⇩ |
|||||||||||||||||||||||||
4世紀 |
欠史8代の天皇即位 |
||||||||||||||||||||||||
畿内統一への力注ぐ |
|||||||||||||||||||||||||
360年ごろ |
崇神天皇が四道将軍派遣 |
||||||||||||||||||||||||
大和政権東国への足がかり | |||||||||||||||||||||||||
380年ごろ | 日本武尊 東国遠征 | ||||||||||||||||||||||||
390~405年 | 神功皇后 新羅遠征(好太王碑文と一致) | ||||||||||||||||||||||||
5世紀 | 421~478年 | 倭の五王が朝貢 | |||||||||||||||||||||||
讃 珍 済 興 武 |