上画像は奈良県の初代神武天皇が即位した樫原神宮入口

高齢者学習講座 復習  日本の古代史


  39  天皇家の起源

区分  九州発生説 大和発生説 騎馬民族征服王朝説

概要

古事記・日本書紀による

天皇家の本家・本元説

古くから伝承  満州方面
 

  天照大御神(高天原)

   神勅  ⇩  三種の神器

邇邇芸命

   ツングース族

    (モンゴロイド)

    騎馬民族

    日向三代 ①天孫邇邇芸命の降臨   ⇩    ⇩ 南下、南部を支配
 

                        (九州日向の高千穂のクシフル岳)

伊勢の地  朝鮮半島
           ⇩   ⇩

   ⇩ 3C半~4C初め

     崇神天皇の九州征服

 

       ➁ホオリノ命(ヤマサチヒコ)

邇邇芸命の子孫の神武   九州 邇邇芸命の天孫降臨神話
           ⇩   ⇩       九州王朝
         ③ウガヤフキアエズノ命 大和を平定

   ⇩ 4世紀末応神天皇の東征

      (神武東征伝説)

           ⇩   ⇩   畿内 河内王朝・仁徳王朝(征服王朝)
         カムヤマトイワレヒコノ命 橿原宮で即位  
 

         ⇩ 東征・大和を征服

   
 

辛酉の年(BC660年)正月一日(太陽暦2月16日)

奈良県樫原宮で即位 初代神武天皇となる

   

  40  古事記と日本書紀の違い

1,古事記・日本書紀の成立経過

 

6世紀 中頃 欽明天皇のころ古い帝紀・旧辞がつくれないか(現存せず)
7世紀 620年(推古天皇28年)

聖徳太子・蘇我馬子により天皇記・国記を編纂する

是年、皇太子・嶋大臣、共に議りて天皇記及び国記臣連伴造国造百八十部併て

公民等の本記を録す

 

  645年(皇極4年)6月13日

乙巳の変てせ天皇記・国記が焼失

蘇我蝦夷等誅されむとして天皇記・国記・珍宝を焼くが「船恵尺」

焼かれる国記をとりだして中大兄にたてまつる

  682年(天武10年)3月17日

天皇・帝紀・上古諸事の記定を命じる

   古事記編集者 稗田阿礼28歳の時

天皇、太極殿に御して川島皇子・忍壁皇子・広瀬王・竹田王・澤田王・三野王

・大錦下上毛野君三千・小錦中忌部連首・小錦下阿曇連稲敷・難波連大杉・

大三上中臣連大嶋・大山下平群臣子首に詔して帝紀および上古の諸事を記し

定めしたまふ、大嶋・子首親ら筆を執りて以て録す

 8世紀 712年(和銅5年)正月  太安万侶が古事記を撰録し元明天皇に献上    稗田阿礼 58歳の時
  720年(養老4年)5月

日本書記が完成し元正天皇に献上される

      

2,古事記と日本書紀の比較

 

区分 古事記 日本書紀
  全三巻   上巻  神話 全30巻と系図    1巻        系図・元存世事
巻数       中巻  神武天皇~応神天皇           2巻      神話上下
        下巻  仁徳天皇~推古天皇           3~30巻    神武天皇~持統天皇
編者

「帝紀」「旧辞」を稗田阿礼が語り太安麻呂が書いた

 

川島皇子・忍壁皇子ら64人の皇親と中臣連大嶋ら6人の官人に命じられ

40年後舎人親王らにより完成

 

 

収録期間 天地初発~推古天皇 天地初発~持統天皇
表記(文体) 日本語の文脈を生かした漢文体 漢文 編年体
その他

 出雲の大国主の話が重要な位置を占める

 氏族の系譜に関心が高い

 出雲を起源とする神話は登場しない

中国思想の影響を受けている

3,古事記と日本書紀の時代区分

 

時代区分 古事記 日本書紀 古い帝紀・旧辞 (前之園亮一の説)
神代 (上巻) (一巻)   神代
  天地初発~日向三代の神話 天地開闢~大国主の国譲り 天地開闢~9代開化天皇 日本書紀(一巻)神代上
        天照大御神中心の高天原
中(ナカ)ツ代 神武~15代応神天皇

(2巻)

邇邇芸命の天孫降臨~

ウガヤフキアエズノ命(日向三代)

10代崇神天皇~11代垂仁天皇

神人代

日本書紀(⒉巻)

神代下 中ツ代(日向三代)

人代 (下巻) (3~30巻)   人代
  16代仁徳~33代推古 神武~41代持統天皇  12代景行天皇以降 日本書紀(3~30巻) 

      前之園亮一氏   日本史学者で共立女子短大教授

               千葉県市原市の稲荷台古墳出土「王賜銘鉄剣」と五世紀の日本に関する研究書等執筆

4,記紀の三代の活躍の舞台となる空間の設定

 

時代の舞台 高天原の世界・黄泉の国の世界など人間世界から遠く隔たった世界
中ッ代の舞台 神人の活躍した舞台は神代の世界(高天原・黄泉の国)ほどかけ離れているわけではなく、また人代の
  世界ほど身近な領域でもない。例えば蝦夷の住む陸奥や出羽の地域、隼人の住む日向など都から遠く隔たった地域がふさわしい
  高天原から天下ったニニギはアマテラスの孫なので日向の地がふさわしいと考える
  従って天孫降臨神話や神武東征は歴史的事象の反映では架空の作り話にすぎない
人代の場合 大和を中心に、東は関東、西は北九州あたりまで
   記紀成立当時の7C末~8C初頭まで大和朝廷の政権が及んでいた地域が舞台

5,中ッ代(神人代)について

 

歴史が神から人間世界へ移る。中間の神で半分人間という7~8世紀の記紀成立の都の貴族の歴史感・観念の世界

中ッ代と設定されている日向三代の神話と中ッ代の天皇と考えられる崇神・垂仁天皇の伝承がよく似ている
中ッ代とは神と人が分離した時代である。崇神のところには神人分離の伝承が多い
半神半人とは人間離れしていることである。崇神(168歳)垂仁(153歳)は人間離れした寿命を持っている
半神半人ということは永遠に死なないという神とは異なり長寿であっても死ぬべき運命を背負って生きなければならない
  ということである。崇神・垂仁のところには死・葬礼・墓などの起源に関する伝承が多い
半神半人の半人という意味は人間的な愚かさ・人間的もろさ・人間が生まれながらに持っている感情など人間性の芽生えを
   崇神・垂仁のところでみることができる

   崇神天皇に関する資料                  (下記 古事記①~⑧、日本書紀 1~2)